私も前前日の夜から生理がはじまっていて、眠気が強かった。なんとこの日の参加者のしほさんも午後から来たミネさんも生理中で2日目か3日目。おまけに「遅れてるからウツシテ!」と朝言ってたアリさんもトイレから戻ると「なったわ!」って。20代の頃、ある市民講座のゼミで、女の人の生理の時の処置の仕方を調べたことがある。かつて明治時代くらいまで、村の女性のために<いみ小屋>という場所があった地方がある。女の人が生理の時、体を休めたりしながら、年寄りに話を聞いたり縫い物をしたりの仕事をしたとも言われている。<いみ>という言葉が<忌み>という解釈にされるときには、生理を不浄の意味、汚れの意味に取っているようにも思われるが、ネガティブな意味に取ったのは後からの解釈のようにも思われる。
この日なんとなくからだのけだるい感じで集まった女達の集まりは、明るいイミ小屋の雰囲気もあったようにも思う。これがさしずめ仕事場の場合は、休むこともできず、頑張って働いて家に帰ればグッタリという状態なのだろう(私も、みんなもかつてサラリーをもらって働いていたときはそうだったはずだ)が、手仕事ぐらいなら、話をしながら何とかできている。家で寝込んでいるより元気になったりするかもしれない。自分たちのからだの声を聞きながらの暮らし。昔だったら、草鞋(わらじ)でも編みながら、野良仕事をしている男達や家族の話をしていたのだろうか?
13の月の暦を使っているから、とりわけ生理のリズムがいっしょになったというのでもなかろうが、ふっと、今日の朝からの雨とみんなの生理のリズムと陶芸の時間という重なりが、昔の<イミ小屋>について考える機会をくれたように思う。先入観を取り外して見直したら、昔ながらのシステムにもそれなりの合理性や必要性が見えてくるかもしれない。外で働く企業社会の機械的リズムにせきたてられている現代の個別の家族は、一人ひとり丁寧につきあっているように見えて、一体一の子育てを余儀なくさせられたりするような非合理な関係や閉鎖性を生んでしまったともいえる。ふっと見え隠れする人の群の良いエネルギーを見つけることができていくと、おもしろいだろうなあ。