4人家族を壊して、夫から離れて子ども達と新しい暮らしを選択したことで、子ども達にも言葉に尽くせないような哀しみを経験させてしまったと思う。ただ、なにか、あのままの暮らしでは、もっと大切なものが滅びていくような気がして、夢中で進んでしまった自分の道。
少しずつ、自分で決めていく息子を見て、あの過ぎ去った日のほろ苦ささえ、ほほえみを浮かべて思い出している。
先日のネズミの話しの続き。コーニングの最後にネズミのディーバーさんを呼んだ。それで、ネズミさんとの共存は可能か?と尋ねた。答えはイエスだった。みんなで質問を考えながら、その方法を尋ねてみた。まずは、家の中か外のどちらがいいのか尋ねた。家の方がネズミさんにはいいらしい。(家ネズミだものなあ・・)で、台所のそばの土間のところにネズミさんのたべものを置くことが決まった。お米がいい?イエスだった。お米は何粒くらい?10粒となった。
で、その日の夜みんなが帰った後、私は台所の横の土間の片隅に10粒の玄米を置いた。翌朝、置いた米はそのままだった。その日はそのまま泊まりがけで綾部に行ったので、翌日の夕方土間の米を見たら、なくなっていた。それから、毎日10粒の玄米をねる前に必ず置いている。場所を変えたときは一日そのままのときはあるが、毎日米を置いてなくなっているのを確認する。
飼っているのではなく、お供えして共存の道を探しているという感じ。また、困ったことがあれば、その原因を訪ねたらいいと思うと気が楽だ。