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お互いの気持ちがひとつになるとき

朝10時から庭作りの集まりがあったので、1時間前に5月のコンサートの内容の打ち合わせをするために、集まった人と、なぜ、庭作りの仲間達と有里さんのコンサート&ワークショップをすることになったか再確認した。
 森や植物たちや山の生き物たちとの暮らしの中で有里さんが感じたものと私たちの日常の暮らしの違いは何だろう。私たちは何がほしいのだろう。何がいらないのだろう。なぜ、人やものがいっぱいの都市の暮らしをはなれられないのだろう。本当に離れられないのだろうか?
 そして、人里離れたもののないシンプルな暮らしをしさえすれば、ほんとうにシアワセを実感し続けることができるのだろうか?
 有里さんの話とうたを聴いていると、都市と田舎という二者択一ではなく、どちらを選択していても、ゆきつくところの絵模様さえ見えていれば、その方向にいるのだという気がする。有里さんの暮らした北カリフォルニアの山の木々と私の魂はいっしょに音楽にのっている。モモの庭の木々のささやきと、この木々にやってくる鳥たちは、もしかして北カリフォルニアの山の鳥たちと同じような言葉でうたっているのかもしれない。
 木が少ないからといって、川が汚れているからといって、ここにいる鳥たちや魚たちや虫たちがうたわないわけではないのだ。
 有里さんとカズさんのデュエットのCDを流しながら、私はモモの庭の鳥や木々とのハーモニーがひろがっていくような気がする。
 打ち合わせを終えて、庭のこれからの予定をそれぞれのディーバー(精霊)さんや、パンさんなどを呼んで、決めていった。本当に丁寧に、モモの庭、モモの家、土、植物、経営のこと、日程のこと、コンサートのことなど、ことこまかにディーバーさんを呼び、それぞれのハイアーセルフのディーバーさんも呼び、閉じるときには一人ひとりつながりを解除し、ありがとうと言う。どんな意味があるかというより、一つひとつのつながりを確認し、それらと共にいちばん適切な状態と質感と流れを参加するみんなで調整しているという感じがする。儀式的な方法をとりながら、場には安定した空気が生まれている。お互いの心も自然とひとつのことに向かっているような感じだ。
 次回は、4月5日にサンクチュアリに並べるモニュメントを作る。合間に種も植える。そして、4月15日と5月2日にまた、種を植え、5月3日にモニュメントを焼くことが決まった。

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日曜日, 3月 25th, 2001
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