モモの家のスタッフのトミイと撫子が住むカシオペアの家が今日で持ち主に返される。
友人と2~3人で住んでいた一軒家を、トミイがカシオペアという名前にしてくれたときは、なんかまだしっくりきていなかったけれど、ここ1年半ほど私もマッサージをしてもらったり、ご飯をごちそうになったりして、足を運んでいたので、『モモ』のなかで、主人公のモモが時間の神様に導かれている助っ人としての存在のように、モモの家にはなんかピッタリの存在だった。
昨年の暮れあたりから、カシオペアのおしまいに伴い、引っ越しのことや、今後のことなど、少しずつモモの家のみんなも気にしていた。
年が明けてから、撫子のエサレンマッサージを受けに入れ替わり立ち替わりみんなが通い、そして、いよいよ引っ越しとなって掃除を手伝ったり荷物の整理をしたりに通った。
のんびり亀さんのような引っ越しに、みんなあきれたりもしたけれど、それも今日でおしまい。今日は、為さんを迎えて送別の茶会をしているらしい。1ヶ月くらいかけての彼女たちの引っ越しは、本当に女性的なのんびりさがあった(本人らは必死だったのだが)。
彼らの引っ越しはそりゃ、大変だった。以前住んでいた人の荷物の整理が80%だったと聞く。それを、丁寧に何度もいろんな人に誰かもらってくれる人はいないかとファックスしたり、少しずつ自宅の前に並べたりして、今日はお鍋を持っていってくれたとか、お盆がやっとなくなったとか言ったりしていた。昭和30年代のような感じというか・・。
この頃の引っ越しといったら、引っ越し屋さんが来て、見積もりをして日を決めたら、その日までに是が非でもやってしまわなければならない。能率重視、日程重視だから、そんな誰にあげるとか、あげるための荷造りとか連絡とかまで丁寧にやっていることができなかったりする。それで、もう引っ越しゴミを見て唖然とすることがあるのだ。そのまま日常の暮らしにことかかないような量の引っ越しゴミを見かけることがあるのだもの。
昭和30年代の引っ越しは違った。引っ越し屋さんもないし、自分たちで車を借りて、頭に手ぬぐいをまいた父親が荷物をおさえながらトラックの荷台に乗っていた。子供心にワクワクするものがあった。
カシオペアらしい引っ越しにあったかいものを思い出させてもらえた。ありがとう、そして、さよならカシオペイア。