モモの家が見つかる前日の1996年4月6日にオープンした天然酵母パンの店<フウ>が今月末で店を閉めるという。ショックだった。
世の中のなかで起きていることはすべて必然、塞翁が馬と思うのだけど、これまで彼女が費やしたお金と時間を思うと残念だ。モモの家の近くにあった自然食品店も30年にして閉店した。
小さいときに「大きくなってたら何になりたい」とよく聞かれたけれど、それがパン屋さんであったり、看護婦さんであったり、パイロットや船乗りであったりする。私は何になりたかったのだったっけ・・。
ヘヘヘ。実は小さいときなりたかったものの一つがピエロなの。
だから、自分らしくはたらく、楽しく遊ぶ、道ばたの風になるチンドン屋が好き。フウがオープンしたときもみんなでチンドン屋をしたなあ・。
これからの商売のポイントは何だろう。ただひたすら楽しくかもしれない。仕事は苦しいものと思っていたら、それは20世紀にお返ししましょう。これからは、正しさでも安さでもなく、ただエネルギーが流れ続けることのような気がする。
田舎暮らしをするために、夢を達成するために、海外旅行をするために、人はしばしばお金を貯める。何かのために今があるというのは、非常にお金に毒された考えのように思う。ほんのり思っていた夢が実るとき、そこには時が一直線に向かっていくのではない、なにか偶然のような流れによることがある。ある意味では螺旋状に流れる時を見ようとすることかもしれない。
ふっと閃いた。Spendではなく、Liveをという言葉が。何かのために今のお金や時間を使うのではなく、今を生きるためにエネルギーが交換される。そのときお金も時間もためたり、はかったりするのではなく、お互いの夢が相互に織りなすネットワークのなかにいることだけを感じていたらいいのだ。
その誰のものでもないものがたりの主人公になるおもしろさに、自分と他者がかかわるおもしろさがLiveではないかなあ。