今日、久し振りに垂水神社にお参りにいったら、宮司さんがおられた。「お元気ですか?」と聞かれて、10日ばかり寝込んでいた話をすると、宮司さんも3週間近く夏風邪が長引いていたとのこと、それでも、約束していた仕事があって、病院で点滴をして仕事に出かけたが、「普通の声は出ても祝詞の声が出なくて困った」と話された。
みんなが病院で注射を打ったり解熱剤をもらったり、抗生物質を飲んだりするのは、病気でも寝込むことができないからなのだなあと、改めて思った。私も、丸2日はほとんど寝ていたけど、電話があったり、子どもの食事をある程度はしなくてはと、買い物と食事作りはなんとかやって、しんどくなったら横になるというワガママができたから、ゆっくりと病気が癒えていくのを見つめることができたのだなあと思った。
今年の春の有里さんのコンサートの時に、カリフォルニアの人里離れた山で暮らしているときに、しだいに身体の体力が落ちていくのを実感しながら、2ヶ月も寝込んだ話を聞いていて、自分だったらそんなことができるかなあ?心配にならないかなあ?とか思ったのを思い出した。
街では、反対に病院に行った方がいいよとか、もっと良い薬があるよとか言われて、迷ってしまうこともある。今回は、とにかく、いただいた夏休みを存分、病気の治癒に使うことにした。19日からのタイ行きにそなえて、もう少し早くよくなると思っていたけど、本当になんとか間に合ったという感じだ。
熱があるからか、目が疲れやすく読みたい本もあんまり読めず、朝は比較的元気なので、新聞を丁寧に読んだ。8月の前半は靖国神社の話題、戦争の話題が多かった。
小さいときからなぜ、戦争をするのだろうか?という疑問は片時も私のなかから消えて無くならない問題だ。今年の夏は、寝込みながら、8月6日、9日、そして、お盆を過ごした。何かしようという意欲もなかなか生まれず、田中さんからの電話で、薬を届けようかという提案にも、迷った末お断りした。(田中さん、ありがとうね)
14日の晩、本当にゆっくりと過ごしているのに、また熱が出てきた。やっぱり薬がいるかも?との考えがよぎった。ふと、Oリングで、ホルトスクールで習いたての、微生菌に働きかける方法をしたほうがいいですか?と聞くとイエスとなった。