今日はコスモクロスとカフェの日。夏前からコスモはどんどん、人が増えてきて、今日も10人くらい。お昼のランチはとうとう、2つのテーブルでは座りきれなくなって、3つ目を出した(子供たちも今日は3人だったの)。
先日の日曜日は、情報センター創立以来の仲間で、スタッフも2年くらい務めてくれていた、金谷さんがめでたく、結婚式を挙げた。わが鶴亀団が70人分のごちそうを作って、為さんが会場の設営を、愛ちゃんドヒヒがディスプレイ等を担当してくれた。結婚式もすべてみんなの手作りで、ミニコンサートのような中身だった。楽しく暮らしていくのに2人がいいなあ、そして仲間がいてくれたら・・とそんな雰囲気が漂っていた。
家族崩壊というドラマを毎週木曜日に見ている。村上龍原作で、引きこもりの兄、危険に見える交際をしている高校生の妹、不倫に発展しそうな母親、リストラにあった父親、隣の夫婦はドメスティックバイオレンスと、現代家族の問題を全部集めたような話だが、妙にリアリティがある。それくらい、今の一人ひとりのおかれている状況は孤独な側面があるのだろう。家族とは、一見最も親しい間柄であるだけに、その孤独な側面は強調され寒々としている。
なぜなんだろう。離婚という形でかつての家族をやめた私にも、そういう家族の寒々とした感じは人ごとには思えない。一方で、今は、こうして、日々自分たちの日常を支え合う仲間を得て、これは、家族とは違うけれど、家族的な何かを感じている。1年前にはあったかな?はっきりとはいえない。でも、常にここにくるまでの苦しい、楽しいプロセスはあった。
Kさんと話していて、休職中の彼女が仕事を休まざるを得ないくらいの状況になったのはなぜかを考えてみた。うーん?なんで、学校に行って、しんどくなるんやろ。なんで、仕事をして仲間との関係に苦しみが伴うのだろう。家族として過ごしていて、こころが寒くなるのやろう。近所づきあいが楽しくないのやろ。
うーん?これは、もうその日常の根本的なところに問題があるのかもしれない。
結婚そのもの?暮らし方?今日、Mさんが切り抜いてきた朝日新聞に載っていたベテルの家の話にヒントがあるだろう。弱さが出せる。いつでも休める職場。三度の飯よりミーティング。だったっけ?そんな職場と家庭と近所があれば、楽ちんな暮らし、楽ちんな家族が続けられるかもね。