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最後の家族

 あんまりテレビを見ない私。というのは、子ども達それぞれの部屋にはテレビがあるけれど、モモの家の広間に2台もおかれているテレビはビデオしか見ることができないので、見たいテレビは、娘のハルカの許可を得て見ることしかできない。
 先日日記で、間違って家族崩壊なんて書いたドラマの本当のタイトルは「最後の家族」だった。村上龍原作・脚本のドラマは先週の木曜日に最終回を迎えてしまったが、被写体への迫り方が他のテレビドラマと何処か違っていて、映画のような印象を持った。救いのないドラマという話も聞いていたが、夫の会社の倒産でローンの払えなくなったマイホームを売って、そのお金を4等分し、それぞれの将来へ向けて歩み始めた結末は、明るいものだった。
もう一つハルカといっしょに見ているドラマは「恋を何年休んでいますか?」で、次週が最終回。金妻シリーズの一つだと思うが、けっこうおもしろい。一見シアワセを手に入れたかのような暮らしに見え隠れする孤独感。「最後の家族」はマイホームを守れなかった男の悲哀が見えるが、こちらのドラマでは、マイホームがあるのに、シアワセになれないと嘆いている。
 毎日の暮らしに余裕がないと、恋する余裕もないだろうけれど、余裕ができると、思わぬ恋に陥ることもある。安定と不安定の狭間のなかで、人はバランスをとるために恋をするのだろうか。
 恋の始まりは、自分の中にある愛らしさを、相手が認識して表現してくれたときであったように思うが、いわゆる会社というような仕事時間の積み重なりのなかでは、自分のなかにある愛らしさについて、その存在すら忘れてしまうようなときがあるのではないだろうか。
 それを、気付かせてくれる恋は、人の魂の洗練に必要なことなのだろう。一人の人とそういう状態を保ち続けることができれば、問題は起きにくいが、それが、そうならないで、違う相手と関係が生まれることもある。
 「最後の家族」のなかで、それぞれが出した結論は、一人ひとりが自分のシアワセに責任を持つことだった。大人になろうする息子と娘は、親世代の生き方から脱皮して、女と男を、守ってもらう人と守ってあげる人という図式から、互いに助け合う人間という関係に向かおうとしているのがうかがえた。

Posted on
月曜日, 12月 17th, 2001
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