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お年玉

 昨日は、お昼ご飯を食べに、父親がやってきた。最近は、めったに私の方から実家に出かけることもなく、母親とも一年に一度顔を会わすかどうかという程度に、親とは疎遠な関係だ。どうも、モモの家というような家族の開放のようなことをしてしまう私は、自分の血縁家族との疎遠さと関係があるようにも思う。
 でも、お正月に、子ども達にお年玉を運びにやって来てくれるのが、父にとっても子ども達にとっても、けっこう楽しみな行事になっている。今年はいつ行こうかなと暮れに電話がかかってくる。で、子ども達に、「4日おじいちゃんが来るからね」と伝える。朝寝坊の私たちも、昼ご飯までには起きて、父のためのビールを用意したり、「おじいちゃんにスルメを焼いてあげようか」とか、娘も気を配ってくれる。結婚しているときは夫の兄妹が多かったので、いとこ達、10数人のお年玉を用意していたけれど、今はそういうこともなく、外から来るお年玉は私の実家くらいなので、子ども達には楽しみなのだと思う。
 父が昔、親戚に預けられていて苦労した話は、幼い時から聞かされていたが、今日初めて聞いた話もあった。2歳の時、父の父親が死んで、はじめにもらわれた先は、子どもがいなくて、とても可愛がられていたというのだ。ところが、5歳のときに、父親の残した遺産の相続(今で言うと結構な金額で2億円くらいらしい)のことで、もう一人の兄妹が引き継ぎたいと申し出て、父親はそちらにもらわれることになったらしい。ところが、そこにいた継母が異常な性格の人だったらしく、我が子との差別が激しく、「叩かれたりしたの?」と聞くと、「それどころか、ご飯を食べさせてもらえなかった」と言う。それで、その家でこき使われただけでなく、父親の財産の分配もなく、小学校卒業後12歳で、満州の開拓義勇軍に入ったということだ。マイナス30度の厳寒の満州を体験している少年時代というのは、忘れることのない記憶だと思う。鉄砲かついで耳当てのついた帽子をかぶった中学生くらいの少年の父の写真を、見た覚えがある。
 幼いときに聞いた父の話は、その頃のテレビドラマや本で読んだ『次郎物語』や『家なき子』などのお話とだぶって、自分のことのように悲しかった。我が子を愛することと他人の子どもを愛することが、同時にできないのは何故なんだろうとの問いを持ったのは、その頃からだと思う。

Posted on
土曜日, 1月 5th, 2002
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