父が小学校しか出ていないということで、きっと貧乏だったんだと思っていたけれど、実の父親が亡くなっていなかったら、けっこうぼんぼんだったのかもしれない。(以外と作り話だったりして・・)大学も出してもらって、裕福な家庭を作っていたかもしれない(と父は言う)。でも、そんなんだったら、母親と結婚していなかったかもなあ。母親はといえば、同じく2歳くらいで父親が亡くなり、3人兄妹で長女だった母が、貧しさのため、お寺にもらわれることになったらしい。母の兄は長男だし、下の妹は生まれたばかりだったし。
お寺で育てられ、いずれは、尼さん(あんじゅさん)になるはずだった母は、高校生の時、家出して高校の先生の家に居候をしばらくして、奈良女子大に合格したのだけれど、お金が払えず、泣く泣く退学したという。
幼いとき、母と父との仲が悪くなって、離婚するかなというような時期もあった。で、母が頭が良くて、父と釣り合わなかったのだろうみたいに考えていたが、最近、それだけでもないように思えている。
家族を続けるのにも、毎日の暮らしを楽しくするポイントがいるのだろう。どうしたらいいのか、小さいときも考えていて、大草原の小さな家のように、よく働くお父さん、夫を支えながら家族をあたたかく見守るお母さん、そして、寝る前には父の弾くバイオリンに家族が耳を傾ける。なんていうシーンに憧れたモノだ。
ピアノがなかったからなのか、バイオリンがなかったからなのか、そんな優雅な家族は生まれることなく、冷たい空気が寂しかった。
父が悪かったとか母が悪かったとか、私がいたらなかったとかでもなく、何か、家の中に虚ろな冷たいものを感じていた。それが、『モモ』の時間泥棒なのかもしれないし、戦後という貧しさなのか、あるいは、戦争を起こす人間の闇なのか、うまく、つきとめてはいない。
そんな、父親達世代が、今は、日本の高齢者として、多くはとりあえず、年金や貯金で老後の心配のない状況をつくっている。父は、ようやく、貧しさから開放されたかの表情を見せている。「あと、10年生きるかな?お墓もつくってあるし、葬式代も積み立てている(知らなかった!)。誰の世話にもならず、一人でやってきた。まあ、困ったときには言ってくれたらいいよ」とおだやかな表情を見せる父に、ご苦労さんというだけではすまない、淋しさを感じる。