ちんどん屋を仕事でさせてもらうことになった滋賀県のおうみ委員会の人に聞かれた。今日もランチに来てくれた女性と仕事研究所の田中所長さんにも聞かれた。
何をしているかと言われて、この10年の変化の中で、一言で言い表すことがむずかしい。アトピーの本を出していたこともあったし、いろんな勉強会を続けていたこともあったし、それらを報告する通信を出して、会員制にして送っていたりもする。5年半前にモモの家ができてから、この場でのコンサートを企画してみたり、料理教室をやったり、勉強会をやってみたり。
この春から、うさぶろう佐藤のタイ草木染めの洋服の販売が加わったのも、予測していたわけでもない。今後の事もそれほど明確でもない。こんな方法がそれほど長く続くとも思っていなかったのだけど、結果的に行き当たりばったりであったようにもおもう。
そのなかでも続いていることは、毎月通信を出し続けていること。毎年祭りをしていること。震災の慰霊の太鼓を毎年たたいていること。それ自体はお金をうみだしているとはいえないのだけど、何かが生まれていくのは、こういった続けるという育てあっている中から、必然的に花や実がなるというようなものなのではないかしら。
だから、世の中の効率主義の世界のなかでは切り捨てられてしまうことを、後生大事にしているうちになんとか廻るくらいの糧が入ってくるというのが現状のようだ。しかし、まったく予算の見通しがたっていないので、時々不安がよぎる。
年度末の3月が近づくとお金が底をつく。で、毎年、どうしてなのかなあ?と言いながら、昨年はどうしていたかなあと考えながら、相談している。その時にいる人達と相談しながら、バザーをしてみたり、カンパを集めたときもあったなあ。
昨日も会計の人と、2月3月をどう乗り切るかという話になった。預金の残りは30万で、後1ヶ月の維持費しかない。それで、3月末にうさぶろう展をかかえている。他にも経費がいりそうだ。大家さんには100万の借金がある。
さて、この急場をどう乗り越えるのか?!まあ、そんなことをしているのが、事業ともいえるというと、相手にしてもらえないだろうなあと思っている。
明日は、女性と仕事研究所の事務所開きに<ケータリング>の料理の仕事が入っている。なぜかサービスでちんどん屋もする。これが実体だ!