公立高校に入学した娘との約束で、携帯電話の購入の為に彼女の銀行口座を作った。4月1日、年度の最初の日。なんだか銀行も郵便局も人がいっぱい。たまたまかもしれないけど、月初めの月曜日ということもあってか、やはり、通帳を作る人なども多く待ち時間も長かった。
銀行のソファーに座りながら、なんとなく離婚届けを出したのも4月1日だったなあと思い出していた。8年前のエイプリルフールの日。やっぱり離婚して出発し直した方がいいという決意のもとに市役所に行った。怒濤のような日々だった。
「いのちと食」情報センターを作ってちょうど2年。やることがすべて、おおきな波を作り、どんどんとその波に乗りながら、すすむうち、どうしてもすすまなければならない自分の道と、ともに暮らしていた人の道との差が大きくなりすぎたのだろう。その後、イメージのなかで新しい暮らし方が目に浮かび、そして、生まれたモモの家。まさに、清水の舞台から飛び降りるような決意。
今から思えば無謀そのもの。そんな私を、応援して支えてくれた萩原さんとともに、モモの家はスタートした。昨日のモモの家での総会で、萩原さんも話してくれたけど、二人でできるだけの企画をしてなんとか経済を支えた3年間。萩原さんの給料が増やせないまま、彼女の貯金も底をついて、とうとう、専従者が私ひとりになった。モモの家はもはや、閉じるべきか?との瀬戸際にいながら、今も存在して、10周年のお祝いの総会ができ、みんなから、10年間御苦労さんの花束をもらった。正直うれしかった。本当に、10年続けて来れたのは、みんなのおかげ。
私の中から生まれた願いをここまで遂げることができたのは奇跡だと思う。それと同時に、こころから正直に行動したとはいえ、元夫や子ども達、萩原さんを初めとする仲間達に、こころからの感謝と申し訳がない気持ちとが同時にあるかなあ。
ちょうど6年前、この家を初めて見たとき、桜が満開だった。この庭が半分になるかもしれないと聞いて、「私が借りたら切らせないからね」と桜に心の中で話しかけた。その気持ちは今も変わらない。この庭の木々、この木々に遊びに来る鳥たち(今は毎日のようにウグイスが来る)のために、この木々は残しておきたい。都会の家としてはこんなに広い庭があること自体贅沢でワガママなのかもしれないが。変化の予感のする春の一日である。