野焼きのときに起こした炭で、昼食に焼き鳥を焼いたのが、あんまりにもおいしかったので、夕食に娘と七輪で焼き鳥を焼き、サンマを焼いた。高校からの帰宅に1時間近くかかる娘は、途中でお腹がすいてハンバーガーをパクついたりしてから帰宅することも多くなり、夕方7時近くになることも多い。とにかくいつも「お腹がすいた」と帰ってくるので、5時半頃から火を起こし、なんとか6時には炭に火がついた。(まだ火起こしはそんなにうまくはない)
焼き鳥の準備をして、火もちょうどいいかなというときに、グッドタイミングで娘が帰ってきた。案の定ハンバーガーを食べてきたそうだが、そのまま夕食に突入。縁側の下の敷石に七輪を持ってきて、廊下から足を伸ばし、二人で腰掛けながら、焼き鳥をほうばった。ご飯もおにぎりにしていたので、軽く醤油をつけて焼くと香ばしい香りが食欲をそそってくれた。二人で「おいしい」「おいしい」とほおばりながら食べ終わった。「お兄ちゃんの分も焼いておこうか」と話すか話さないうちに、息子が玄関に現れ、「焼き鳥食べる?」というと、「うん」という返事。なんだか、焼き鳥に匂いに誘われたかのようなタイミングでの帰宅だった。
最近の料理というのは、電子レンジであったり、電気釜であったりで、デジタルな時間に刻まれた料理が多い。料理も、小刻みな時間でできあがったりする。火が起きるかな?炭がよくいこったかな?焼き具合はいいかな?っていうようなマニュアル時間、アバウトな時間感覚のタイミングの楽しさ、共時性を感じるひとときだった。待つことが退屈ではない時間感覚。食べるという行為が、作っているときとつながっているようなワクワクした感じ。七輪という原始的な調理器具が現れて、食タイムがとても楽しかった。
今日は、さをりを体験するというワークショップの日だったけれど、準備をゆっくりしているうちに昼食の時間になり、思いついて、庭で炭を起こし、小麦粉を水と塩で練ってチャパティを作り、煉瓦の炉に網をおいて焼いた。風の音と鳥の声を聞いて食べる昼食の豊かな時間が時を細かく刻むのではない暮らしを感じさせてくれた。さをり織りの時間は短くなったかも知れないけれど、一つなぎの一日をいっしょに過ごした時間のやわらかさは、私の望んだ時間感覚だった。