父が死ぬ夢を見た。なんやら四角い部屋でそれも、私たちは旅の途中のようだ。誰かが、真ん中に寝ていて、死を待つ時間のような感じだ。お払いのようなものが始まり、気が付くと私がまわりのみんなの上に、榊だか、白い紙のついたのだかの棒を振って、汚れを払うような動作をしていた。
その私はまるで、子どものようにも見えた。そうこうしているうちに、真ん中の人が死んだらしい。しばらくしていると、みんなは、その人が天に昇っていくのを見ることができると確信しているかのように天を見上げた。
ここからが漫画なのだが、即座に私は、天に昇るときには水色の服をまとうという言い伝えのようなものを信じ、天を見上げたら、そこは、天井だった。
そして、死んだ人は、白い衣に水色の更紗をまとい、天井を首ではっていくようだった。その顔が見えたとき、私の父親だったので、びっくりした。
みんなが「さようなら」「さようなら」と手を振っているとき、私も「さようなら」と手を振りながら、たまらなくなり、「行かないで!」と絶叫した。
あんまりにも漫画っぽいラストだけど、かなりリアルだったので、目覚めてすぐ、呆然としていた。父に電話してみようかと思ったけど、やめた。
72歳の父は、健在で、定年後少し務めたりしたが、今は家でのんびり暮らしている。たいした趣味も持たず、人との関わりも最小限で、母とも仲がいいというわけでもなく、彼が幸せかどうかは私にはわからない。以前にも書いたけど、私は、実家と疎遠で、近いのにもう何年も、実家に帰ったことがない。そんな私だからこんな出会った人との家族的なつながりが好きなのだろうと思う。実家は、元夫が現場監督を務めて建ったマンションだ。モモの家は、昭和の初めに建った家で、ぼーっと庭を眺めていたら、どっちが実家かわからないくらい、落ち着く。
どうも、マンションとか団地とかは、人の生き死にが似合わない気がする。6歳下の弟が生まれたのを覚えている。2間しかない小さな文化住宅だったけど、庭があり縁側があった。生まれたての赤ちゃんを手に抱えて、父が木のたらいの産湯につけていた。死を迎えるとき、その死がみんなの想い出になるような場所であったらいいなあと思う。