Kさんが職場の復帰をする返事の期限のぎりぎりまで来ているようで、自分の結論を出そうとしている。自分で決める。シンプルなこの態度が、なかなか決められないときがある。<迷い>というものだろうか。
13の月の暦でいうところのKINの誕生日の日と翌日までかかって『イティハーサ』15巻を読んだ。善と悪の存在の意味、人間の存在の意味を問いかけた漫画だった。調和を望む絶対的な憧れ、しかしそこに唯一神を求めて委ねてしまうと、人類の魂の進化が止まる。それ故に、人類は反調和という相矛盾を求める業を背負っているというものだった。
善という役割を背負った神も、悪という役割を背負った神も、それだけでは魂の進化を担うことができず、ただ人間だけが、微少なる魂の揺れを持つことができる人類だけが、魂を進化させることができるのだと。
少し前、太鼓サークル野火の会員のHさんに大阪駅で会った。50歳近い彼女は大阪市の保母さんで、今乳幼児クラスを受け持っているようだ。夕方のラッシュのなかでの短い会話だったけど、彼女はとても疲れていた。長時間の子ども達との時間は体力的にもいっぱいで、その上ベテランにもなると書類仕事も加わるらしい。
最も驚いたのは、彼女の昼食時間の短さ。乳幼児の食事の時に一緒に食べることなどぜったいできないのだという。まず、給食は保母の分までは用意されていない!しかも、ゆっくり食べる暇がないから、お弁当なんか持っていくとかえって胃を悪くしてしまうので、5分で食べることができる菓子パンくらい・・とからしい。その上、会議などで残業などあったら、夜8時くらいまで何にも食べないこともあるとか・・。「もうやめよう、もうやめよう」とここまで来たとのことだ。
Kさんの職場でも、食事は交代で一人ずつ。なんかスローフードなんて理想がむなしくなるなあ。私はといえば、鶏年というのが影響しているのか(昔、鳥年は食いっぱぐれないって言われたことがある)食事だけは、いつもゆっくり楽しく食べることを徹底しているなあ・・。
いっぱい時間がある人と、いつも時間がない人と、うまく調和がはかれて、どちらもが楽しくなる工夫ができるようになればいいなあ。そんな職場が、暮らしの場が、遊びの場が広がって、調和と反調和の揺れを楽しむ人類になっていけるのかしら。KINの誕生日を迎えながら、私の道のゆくえを心の中に訊いてみた。