今日の朝
友人のお父ちゃんのお葬式に
MOMOのなかまたちと参列する。
お葬式でこんなに泣いたのはじめてだ。
3月ごろだったかな
友人からヘルプの声が上がって
なかまたちと
おとうちゃんの話し相手になったりマッサージしたり
要するに遊びに行ってた。
そこにおかあちゃんがいたり
関東から帰ったおにいちゃんがいたり
この間のいろんな時間の記憶が蘇ってきて
8月末の
まことちゃんおかあちゃんの葬儀
そして今回
こんなにお葬式というセレモニーが
あたたかいものとは知らんかった。
形式だけとおもえばそうなる
それはつながる心と今をどうとらえるのかで
いかほどにも変わるのだと思った。
どちらの葬儀も
ありがとう
そう強く思った。
なかまにいれてくれて
あなたのいのちのなかまにいれてくれてありがとう
そういう感じ。
どこまでも続いてくんだね。
家族・コミュニティ
そういう意味で
今日の「脱原発の旅の報告会」3回目
うちの長男(と呼ばせてもらおう)、トミタタカフミ、上関のことで
数日徹夜のうえ
全開!?でやってきた。
参加者11名(おんなばっかり・さすがMOMO・さすがタカフミ)
まさに現地は最前線
しかしながら、私たちは今いる場所で今すべきことを最大にやるだけだ。
それこそがつながっていることなんだと
再確認をするのだ。
わたしにとってこの「旅の報告会」はそういう時間だ。
青森は大間の「あさこハウス」、そして上関
その映像と話を聞きながら
わたしの家族(大きな意味でのね)をどう守り育てるか
そこへと私の意識は向く。
上関(山口)への最終に飛び乗って
現地へと旅立ったタカさん。
わたしは新大阪まで送って行った。
その間おんなたちは残って話を続けてたようだ。
「おとうちゃんを(不必要な)仕事へと向かわせるのは金がいるから」
そういう話もでたみたいだ。
いいな。
金が要るとおもわされるようなちっぽけな家族システム。もう要らん。
どこまでも自由に
追求するものはやはり
喜び、そして愛し合うこと。