9月11日、私たちは朝からモモの家の屋根に登った。
昭和初期に建てられた平屋でどうしても強い雨の日は雨漏りがする。庭の大きなくすのきや桜も葉を屋根に落とし、その落ち葉が雨どいに詰まったりすると、大量に降った雨をうまく流すことができなくなる。そうして雨漏りもひどくなる。
そういうわけで屋根そうじを決行したのだ。
秋分の日に発行の「新てんからっと18号」の編集も大詰めで、その日の午後からは「モモマネー」の今年の発行をどうするかを決めるであろう「お金の学習会」を開く。そんな予定がある中だけど、編集の仕事をとめてトラ子とわたしは屋根に登った。屋根の上は、空が近い。それに熱い。でもはっきりいって気持ちいい!
「お金の学習と屋根掃除をくっつけよう」と提案したのは、ぎのさんだったっけ。
後からやってきたすぎくんととみい夫婦も加わって、ついでに屋根にかかったくすのきの剪定もはじめた。かなり汗をかいて、おなかもぺこぺこ。剪定した木の枝の後始末は後に残してぎのさんがつくってくれた豆カレーと椙君の手作りのチャパティをいただいた。
仲間たちと働きあい、助け合うことをやめ、あるいは町の大工さんに仕事を頼むことを止め、「安い」「簡単」などの理由で大手のところに屋根仕事を頼む。
お金は簡単に大手に流れていく。
大きな資本を持ったところはさらにお金は流れ
町の商店や大工さんはやっていけないだろう。
それとももっと簡単に、手間のかからない住宅へと立て替えていく。いっそ、大きな木も切り倒し、土はコンクリートに変えてしまえばいいということになるのかな。モモの家の庭や建物はその世界の価値観で言えば非効率ということになるんだろう。
「できるだけお金を使わないこと」はいい事のように子どもでさえ思っている。
できるだけ安いものを選ぶ「善良な消費者」によって世界はますます大きな資本へと吸い寄せられるのではないかとおもう。
豊かさとは何かと思う。
「お金を少しでも残すこと」ではないと思う。
屋根にのぼり、仲間たちと汗だくになって掃除して、うまいカレーを食べる。
そのほうがずっと豊かだ。
モモマネーを4年間実験する中でわたしたちはシンプルなエネルギーの一つとしてお金を見られるようになってきたとおもう。モモマネーだけでなく円でも同じはず。次は円でそのエネルギーの循環する流れを実践するのだと思う。